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Live Moon ブログパーツ |
*LocoMoco*2011.06.29 Wednesday
アロマ教室
一昨日お友だちのお家でアロマ教室がありました。
そこで作ってきたアロマの虫除けと日焼け止めクリーム。 保存料が入っていないので市販のものに比べたら長持ちしないし、効き目も穏やかなので即効性などは低めかもしれないけど、 オーガニックのアロマオイルで作ってあるので肌にも子どもにも優しいところがナイス!何より香りがいいのが嬉しい。レシピをもらえたので、これからは自分で作ってみようと思います 2011.06.23 Thursday
♪はーじまりはいつもダメ〜♪
昔チャゲアスの歌で『はじまりはいつも雨』っていうのありましたよね。うちの兄貴の場合『はじまりはいつもダメ』みたいです(笑)。 2011.06.21 Tuesday
Whatever works.
久しぶりのWoody節に満足!
『Whatever works』(邦題:人生万歳!)をDVDにて鑑賞。それにしても劇場公開が2年前だったなんて知りませんでした...軽いショック 『マッチ・ ポイント』と『それでも恋するバルセロナ』はやはりDVDで観たのですが、どちらもどうもしっくりこなくて消化不良だったのですが『Whatever works』はある意味"Woodyらしい"作品だと思いました。この作品、Woody Allen(ウディ・アレン)がメガホンをとった映画としてはちょうど40作目なのだそうです。彼ももう75歳ですって。あと何作品観ることができるかなぁ。 お話は、ひょんなことから出会った中年天才物理学者と、世間知らずな家出娘とのおかしな共同生活と、恋愛模様の行方を描いていて、何よりWoodyらしいのが久しぶりにN.Y.を舞台していること!『マッチ・ ポイント』も『それでも恋するバルセロナ』もヨーロッパが舞台だったので、なんだか心なしか画面からも撮影の楽しさが伝わってくる。 かつてノーベル賞候補になったこともあるとういう天才物理学者ボリス役の役者さんが、もうWoodyの分身としか思えない(笑)。ペシミストで神を否定し、人生の意味を認めない皮肉屋。自身がユダヤ人であることの自虐ネタを言ったり、とにかく口を開けば文句ばかり!ドドドドっとセリフが盛りだくさんで、これぞ私が安心して観れるWoody作品という印象です DVDの特典映像にWoodyのインタビューがあって、それがまた愉快。時折大あくびをしながら質問に応えるWoody。いやはやいかにも彼らしい。見た目も思ったほどおじいちゃんになってなくて安心しました! まだN.Y.のJazz Clubでクラリネット吹いているのかなぁ。 1度観て見たいなぁ 2011.06.19 Sunday
雨の上棟式
「上棟式をやるのでよかったら来てね!」とお誘いを受け、昨日兄貴と一緒に行って来ました。地鎮祭はよく見かけますが、上棟式を体験するのは初めて!今はなかなかやる方が少なく、端折ってしまうことがほとんどなんだそうです。
うかがってみると無事に棟上げがされて、これからお家が建っていくワクワクした空気が伝わってきます。棟梁や大工さんたち、設計の方も穏やかで、とても丁寧に作っている雰囲気が伝わってきました。あいにくの雨になってしまったのですが、これまたいい思い出。 まず建物の四方にお酒、お塩、お米をまいてお清め。このあたりから急に雨足が強くなってしまったのですが、子どもたちが楽しみにしていたお餅が2階から振舞われます。兄貴も他のチビッコたちもワーワーキャーキャー大騒ぎ(笑)。お義母さまが5升お米をオーダーしたと聞いていたけれど、5升全部蒸かしたのかしら?! ビニール入ったかわいらしい小さな紅白の丸餅がたーくさん降ってきます! 新居の完成は11月頃とのこと。どんなお家になるか楽しみです。おサレな彼女のことだから、ステキなインテリアにするんだろうなぁ 頂いたお餅は早速きなこ餅にして食べた兄貴。かわいい飴もおまけで頂いて、そんな心遣いにほんわか温かくなりました。新居完成まで無事に作業が進みますように。 兄貴も私も貴重な体験をさせていただきました!ありがとう。 2011.06.15 Wednesday
梅仕事2011
近所にある野菜ソムリエのいる八百屋から「青梅予約開始します!」の連絡を受けて、早速2kgお願いしました。去年仕込んでからもう1年ですって...早いですねぇ
で先日、早速届いた青梅で今年の梅酒の仕込みです! まず大きなボウルに水をはってアク抜き。数時間後よくふきんなどでよく水気をふき取ります。傷んでいるものを除いて、串を使って梅にポチポチと穴をいくつか開けたら、好みの砂糖とホワイトリカーで漬けます。 梅田くん3号(写真左)も1年経って黄金色に変身! 今年仕込んだ梅田くん4号(写真右)も美味しく浸かるのだぞ! 昨年は新作として、沖縄の黒糖を使って「梅川さん」を製作。こちら、氷砂糖よりも味が丸くて女性的な美味しさに仕上がり大満足。で、今年の新作は、三河みりんを使って仕込んだ「梅島みりんちゃん」です みりん自体に甘みがあるので砂糖は使っていません。ちと、みりん少ないかな ま、今年はこれで試作としましょう。 今年の新作「梅島みりんちゃん」 さてさて、半年-1年後どんな味に仕上がるか楽しみです 2011.06.14 Tuesday
「無常」という概念と日本人の精神性
9日、作家の村上春樹氏がスペインのカタルーニャ国際賞を受賞。 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。 どうしてか? 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。 ここで今日僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲にばらまきます。十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同) 2011.06.09 Thursday
ナイスガイには訳がある?!
とある早朝@スタバ
兄貴を見送ってそのままフラフラと。 隣合わせの書店はまだ開店前でしたが、平台の新刊やらベストセラー書籍には手をのばせたので、いくつか手に取り窓際へ座る 目にとまるのはなんとなく「子育て論」的な実用書。 石川遼くんのお父さんはどんな風に彼と向き合っていたのか。どうしたらあんな好青年が出来上がるのか(笑)? 『石川家の子育て』 そしてサッカー長谷部誠選手の著書『心を整える』 彼も本当にナイスガイですよね 『心は鍛えるものではなく、整えるものだ。いかなる時も安定した心を備えることが、常に力と結果を出せる秘訣だ。自分自身に打ち勝てない人間が、ピッチで勝てるわけがない。』日本代表キャプテンとして、チームを勝利へ導いた男の実践的メンタルコントロール術。 ですって、兄貴!どんな状況でもどんな場面でも心が揺らぐことがないよう、生活のリズムや睡眠、食事、練習など日々の生活から心に有害なことをしないよう心がけているのですって!どういう局面にいたとしても自分の「心の軸がぶれない」というのは本当にスゴイことだし、現代社会の中でそれを保つというのは難しいこと。それが出来る長谷部選手だからこそ、日本代表キャプテンとしての責務を果たせているのだと思う。 どれもパラパラと斜め読みでじっくり熟読したわけではないし、読んだからと言って劇的に自分の兄貴に対する向き合い方が変わるわけではないかもしれないけれど、「ナイスガイ」を育てた経験のある先輩たちの言葉はやはり説得力があるし、参考にしたい場面もたくさんあって見習いたいと思いました。 うちの兄貴は将来ナイスガイになれるんだろうか...ぷぷ いやいや、それって親次第なんじゃない?!...責任重大である 2011.06.08 Wednesday
運動会2011
先週の土曜日、運動会がありました。
おかげさまでお天気にも恵まれ、無事に開催 4月に入学して2ヵ月後にはもう運動会というのも、まだ1年生の子どもたちにとっては大変なスケジュールだったと思います。兄貴もリレー戦の選手に選ばれて、給食の時間を他の子どもたちより早く切り上げて練習していたというから、頑張ったと思います。 早朝から場所取りに並ぶ方もいらっしゃるみたいですが、のんびり出掛けた我が家でも無事にお弁当を食べる場所は確保できました。それにしても規模が大きい!青空に子どもたちの描いた絵の旗がはためいていて、まさに「運動会」という感じ 校舎には得点表があったり、校庭に描かれた白墨のラインを見ていたら、遥か遠く昔の自分の小学校時代の運動会を思い出しました。 今は走ったときに順位をつけなかったり、ケガをしそうな競技は控える小学校が多いみたいですが、兄貴のお世話になっている小学校は、がっつり得点はつくし、順位もつくし、棒たおしや騎馬戦、高学年の組み体操では人間ピラミッドもやっていました。 兄貴はポンポンを使って「ひょっこりひょうたん島」(表現)の曲にのってダンスをしたり、40m走(だんとつ1位!)したり、リレー戦(低学年)に参加したり、玉入れをしたりと大忙し! 「何が一番楽しみ?」って聞いたら「ひょっこりひょうたん島!」と言っていた兄貴。リレー戦じゃないのかよっ!って思ったけど、やっぱり子どもなりに緊張していたんだと思います。そりゃバトンの受け渡しとか緊張するよね じーじやばーばたちも見に来てくれて、きっとそれも大きな力になったと思います。お昼にはみんなでお弁当食べて楽しかったよね! 高学年のリレー戦はやっぱり迫力があって格好よかったー!女子も男子も足が速いのってかっこいいー!!知っている子はいなかったけど、なんだか気持ちが入ってしまって応援も燃えたよ!感動したっ!いやぁリレーはやはり運動会の華ですな。 同じクラスのママさんが素晴らしいカメラで撮影してくれた写真データをくださった。いい写真 こういう空気感の写真を見ると俄然デジタル一眼レフが欲しくなってしまう コンパクトで手軽なデジカメとはまた違った雰囲気の写真が撮影できてステキだなぁ 3.11以降、毎年必ず同じイベントが行えるとは限らなくなった。昨日までいたお友だちに会えない人もいる。あったはずの学校が跡形もなくなった人もいるはず。東京だってこれから分からない。校庭の土が絶対に危険にならないとは限らない。だからこそ来年も無事に運動会が開催されるよう、子どもたちを取り囲む環境を整え、彼らを守っていかないといけないなぁと思いました。 |